ミスタートンの思い込み

ミスタートンが、日々の思ったことをぼやきます。愛車については語ります。

ちゃんと紹介しとかないと

もう書かないと言っときながら今日も書いています。

今日は、きなこが埋葬されたと連絡があり様子を見てきました。くろんど池の近くで近場ツーリングには良いところでした。

で、いままできなこのことばかり書いたので他のペットから祟られそうなので今まで飼った動物について書きます。

下記以外にも熱帯魚を買いましたがそれは割愛しますね。

我が家で最初に本格的に飼った動物は、犬でした。小学校2年生かな。

もともと猫より犬が好きでした。

私の祖母のお墓を建てたときにその墓地で飼われていた犬に子供が生まれ、私が急に犬が欲しいといって飼い始めました。

柔道の試合で優勝するという条件で。だから名前は三四郎

約束を果たしたのは1年後でしたが。

そりゃ、かわいがったもんです。が、散歩に行くのが面倒で・・・。当時からダメダメですね。

また当時は野良犬も多く散歩も結構危なかったんですよ。

この犬は長生きでした。阪神淡路大震災の時も生きていたと思います。20年近く生きていましたかね。最後は少し今でいう認知症もあったかな年老いた姿を見て動物を飼うものではないなぁ。と思っていました。この犬の遺毛は私がこっそり我が家のお墓に入れています。

で、高校生ぐらいのころかな。ネズミが出ると言ことで猫を飼えばいいということになり、我が家に猫が来ました。

父の知り合いに子猫がいるので雉と黒のどちらがいいといわれ、私は黒が良いといいましたが縁起が悪いということで雉の猫が来ました。

実はこの猫の名前が思い出せないんです。記憶違いでなければ阪神淡路大震災の体験がよほど怖かったようで、余震の時に狂ったように走り回っていたのを覚えています。地震後すごく弱って間もなく死んでしまいました。

その猫と被ったか死んでから来たかは記憶が定かではないのですが、次に来たのが白猫のちーこです。最初に黒猫にしとけば白と黒とで面白かったのに言っていたのでかぶっていたと思います。

確か母が拾ってきた猫だと思います。このころから母の動物かわいがりは強くなっていきました。

母は、孫たちから「ちーとばあちゃん」呼ばれています。この白猫ちーこは、孫たちに「ちーと、ちーと」と呼ばれていたからです。

この猫はよくできた猫でした。人懐っこくてやさしくて。来たときは子猫だから小さいからちーこでしたが、あまり大きくなりませんでした。

ちーこは短命で10年ちょっとぐらいしか行きませんでした。死ぬ間際ダンボールの中で眠っていたのですが、よろよろと立ち上がり横で見ていた私の胡坐の上に座りに来ました。その日に死にましたが、切ない思い出です。

かわいそうだからということで、ペット専門の火葬場に持って行ったことを覚えています。阪奈道路沿いの動物霊園だったと思います。火葬しただけでそのあとは行っていないけど、今でもあるのかな。

記憶はあいまいですが、猫の骨の一部をお墓の脇に埋めたような気もします。

次にやってきたのが「まる」。正式名は「まるも」。これは、兄が会社の近くに子猫がいるからといって連れて帰ってきました。

兄の名前はまもる、猫の名前はまるも。

この猫は人間に対して攻撃性がありました。気難しく神経質でした。孫たちはちーこは可愛がれましたが、これは恐怖の対象でした。子猫だから遊びたがって足にとびかかってくるのですが当然爪を立てる。それが痛くて怖くてその猫の近くを通るときはみんな座布団をもって足に来ないようにしていました。もちろん触ることなんてとんでもない。

遊ぶのが好きでジャンプはなかなかの迫力でした。

最後は、母が施設に入ってすべての猫の世話を私がする負担を減らすために当時怖がっていたその姪っ子が引き取ってくれました。結局3匹引き取ってくれました。旦那さんの理解もありとてもかわいがってもらい幸せな晩年を過ごしました。一番長生きをして20歳は軽く超えていたと思います。

ホーミーとまるです。

次に来たのが、白猫のホーミー。

ある日家の近くから子猫のけたたましい鳴き声がずっと聞こえていました。すぐにでも駆けつけて様子を見て引き取ってきそうな母親に、私は「あかんで」と言ってくぎを刺しました。

そしてしばらくして兄の嫁が入ってきて「さっきからこの猫がすごい声で鳴いてる。ばあちゃん何とかしたって」と言って連れてきました。

あーあ。

猫の名前は、ホーミー。兄の嫁の名前はみほ。これも分かりやすいですね。

小猫の時に鳴きすぎたせいか、この猫はあまり鳴きませんでした。ゴロゴロとのどを鳴らすのがすごく下手でまず聞こえませんでした。

真っ白でしっぽが長くすらりとしてきれいな猫でしたが、鳴くと声がかすれてきたない。毛の触り心地が安いアクリルの糸みたいでした。

この猫はよくできて猫でした。やさしいし人懐っこいし、病院へ行ってもおとなしい、爪を切ってもおとなしい。トイレもきれい。

私はなぜか顎を噛まれました。椅子に座っていると膝の上に来て前足の私の胸辺りにおいて顔がだんだんと近づいてきて顎を「カプッ」と噛んでいきます。何だったんでしょう。私だけがやられました。

晩年はこの猫も認知障害があったのでしょうか、この家に来る前の捨て猫だった時のように意味もなく鳴き続けていました。昼夜関係なく。次に出てくる相棒の猫が死んでからひどくなりました。

体が弱ってからは、兄夫婦が連れてきたいきさつもあり最後まで見届けてくれました。

次はブッチャー。オスの黒猫です。

堺の姉の動物好きの姪っ子が、公園に死にかけの猫がいるということで連れてきました。前足の指がけがをして一部がなく病院で治療して一命をとりとめました。

私が一番好きだった猫はこいつです。

でもこいつは悪い猫でした。攻撃性はなく基本はおとなしいですが、周囲のことは我関せず自分のしたいことだけする超いたずらっ子でした。

食べ物はすぐにとる、脱走大好き、つかりそうになると逃げる、トイレは荒い。

とにかく猫部屋から出たくていつも入口にいて開いたらすぐに脱走。

自分でも開けようとして重い扉をがりがりとひっかくので扉がボロボロに。貫通しそうなので板を貼りなおしたりしました。

かなり重い扉でしたがこの猫だけはこじ開けました。固定しないとたやすく脱走します。

そのかいあって前足が太くて筋肉質。こんなに太い腕をした猫はほかに見たことがありませんでした。

母が死んでしばらくして急死。あっけない最後でした。

母は、父の経営する会社を手伝っていました。また趣味で家庭菜園をしており、そこに近くの野良猫を集めて飼っていました。母なりの親切なのでしょうが、虐待と言われても仕方のない環境でした。

放し飼いをせず飼っていたんでしょう。逃げられないように小さな小屋を作り飼っていました。ですが会社が移転することになり、この家庭菜園もいけなくなるということでそこにいた猫たちも家に来るようになりました。

そんな猫たちが、三毛猫のみけ、片目のない猫のしま、小さいけれど食べ物にとてもいやしいピースです。いきさつは間違っているかもしれません。

残念ながら私自身はこの3匹とはあまりかかわりはありません。「何匹目おんねん」とあきれてみていましたから。

そんなこんなできなこを含め最大で、まる、ほーみー、ブッチャー、しま、みけ、ピース、きなこと最大7匹家にいました。

それでも飽き足らず、家の周囲の猫に餌をやるので近所には10匹程度、また猫に餌をやりにも行ってたので何匹の猫にかかわったかは分かりません。家族は止めましたが、なかなかこれが好きな人は良かれと思ってやっているから止まりませんよね。

私の家を説明するとき「いつも猫がいてるところの家や」と説明したもんです。

みけは母が亡くなる前に死にました。

しまとピースは、まるを引き取った堺の姪っ子が面倒を見てくれました。私の知らないこの猫たちの一面をどんどん発見してくれて、最後まで本当にかわいがってくれました。地味な猫たちやったのに。

埋葬もとても手厚くしてくれていたようです。私は基本薄情なのでそこまでできません。本当にありがとう。

で、猫たちは猫部屋と言われる重い扉の部屋に隔離されます。扉は板をあとから張り付けられて片手では開けられないぐらい重いです。

時々、私の気が向いたら解放してあげます。掃除はせんけど。

その時はきなこを別の部屋に閉じ込めます。

母が施設に入って3匹を姪っ子が引き取ってくれました。

そのうちにブッチャーが死にます。

それから、ホーミーが弱っておかしくなり兄夫婦が引き取ってくれました。

そこからきなこと二人。もともと猫部屋から出ていたしやはり思い入れが深くなる。

この半年はきなこも以前の体力はないなと感じていました。何らかのストレスがあったのかもしれません。

これだけ長く動物に囲まれてきたのに人も生き物も居なくなった寂しい我が家。

新しいペットとも思うけど、ちゃんと世話できる自信はないし、時間もとれない。今まで見たペットの死に際や死んだ後の罪悪感。

きなこに「俺がいなくなって寂しいから新しいものをとは、えらい勝手な理由やな、満足に面倒見れるんか」ともいわれそうやし。

もしご縁があれば飼うことにしよう。買いにはいかないよ。