ミスタートンの思い込み

ミスタートンが、日々の思ったことをぼやきます。愛車については語ります。

最近の出来事 R5.3.6

最近の出来事のご報告です。

先週はペットロスの影響を引きずり、ご飯もあまりのどを通りませんでした。そのおかげで108㎏前後で安定していた体重が104㎏になりました。

家にある体脂肪などが出る体重計で初めて体脂肪が30%を切りました。その時は全然仕事に行ける程度でしたが体調はいまいちすっきりしないので木曜・金曜と仕事も休みました。今日会う人会う人に「体調大丈夫ですか?」と聞かれ、罪悪感はありましたが。

土曜日は、公立中学の雄。女子柔道では日本一を争うG中学へ出稽古。久しぶりの2部練でした。いやあ、長かった。

そこで保護者の方にペットロスの話をしたら、「私たちもです」という話になり火葬をしたところも一緒でした。

G中に行くにあたって今回は別の目的がありました。テレビで古いお店を使って営業しているチョコレート屋があるとのこと。ホワイトデーも近いので行ったついでで買えないかなと思っていました。引率してくれた保護者の方にお願いすると「チョコレート好きなのでいいですよ」とお返事をいただく。

最近休業した古くから続いていたお餅屋の建物を使っておられ、G市の歴史保存地区のような古い街並みが続くところにありました。もっとも私的にはお餅の方が興味ありましたが。

商品は10cm四方の板チョコが8種類ほどありました。そこそこ高いだろうと思っていましたが、かなり高かったです。ホワイトデーお返し分を買うとちょっと顔が青ざめました。

カカオの含有率で値段は多少変わりますが、一つ1,200円から。

左の方を生徒や保護者と分けて食べました。カカオ含有率が高いのであまり甘くない。

食べた感想は、オレンジのゼリーが入っているんだと思いましたが、原材料はカカオと砂糖のみ。でもかんきつ系の甘さとそのあとヨーグルトのような風味がしました。とても不思議な味でした。

その答えはここに↓

私の知っている中では、ワインでもコーヒーでも紅茶でも値段やいれ方や素材を選べばいろいろなことを主張してきますがチョコレートでもそうなんですね。確かに書いてある通りでした。

チョコレート好きな保護者の方は、「とても素敵なお店を教えていただきありがとうございました。あのチョコレートはとても幸せな気分にしてくれます。」と大絶賛。

私は、そこまででは・・・。

値段が半額でも明治のミルクチョコレートの方がいいと笑われました。甘くないのでチョコで風味を味わう余裕はないです。なんせ高いし。

ワインならば最近は少し値段の高いものを選びますが・・・。チョコレート好きの方はぜひ一度ご賞味ください。

で、本日はトレーニングを頑張りました。今日大嫌いな走る日。でも走った後は体重が幾分減るので体重測定は楽しみです。

今日は104.4㎏。体脂肪は30%を切りました。2回目です。これが続けばうれしいですね。30歳くらいでトレーニングをよく頑張っていた時は、体脂肪は18%でした。その時は90㎏はぐらいだったと思います。それぐらいになりたいですね。

猫のいない環境にも少しずつ慣れてきました。今週からは頑張りますよ!

ちゃんと紹介しとかないと

もう書かないと言っときながら今日も書いています。

今日は、きなこが埋葬されたと連絡があり様子を見てきました。くろんど池の近くで近場ツーリングには良いところでした。

で、いままできなこのことばかり書いたので他のペットから祟られそうなので今まで飼った動物について書きます。

下記以外にも熱帯魚を買いましたがそれは割愛しますね。

我が家で最初に本格的に飼った動物は、犬でした。小学校2年生かな。

もともと猫より犬が好きでした。

私の祖母のお墓を建てたときにその墓地で飼われていた犬に子供が生まれ、私が急に犬が欲しいといって飼い始めました。

柔道の試合で優勝するという条件で。だから名前は三四郎

約束を果たしたのは1年後でしたが。

そりゃ、かわいがったもんです。が、散歩に行くのが面倒で・・・。当時からダメダメですね。

また当時は野良犬も多く散歩も結構危なかったんですよ。

この犬は長生きでした。阪神淡路大震災の時も生きていたと思います。20年近く生きていましたかね。最後は少し今でいう認知症もあったかな年老いた姿を見て動物を飼うものではないなぁ。と思っていました。この犬の遺毛は私がこっそり我が家のお墓に入れています。

で、高校生ぐらいのころかな。ネズミが出ると言ことで猫を飼えばいいということになり、我が家に猫が来ました。

父の知り合いに子猫がいるので雉と黒のどちらがいいといわれ、私は黒が良いといいましたが縁起が悪いということで雉の猫が来ました。

実はこの猫の名前が思い出せないんです。記憶違いでなければ阪神淡路大震災の体験がよほど怖かったようで、余震の時に狂ったように走り回っていたのを覚えています。地震後すごく弱って間もなく死んでしまいました。

その猫と被ったか死んでから来たかは記憶が定かではないのですが、次に来たのが白猫のちーこです。最初に黒猫にしとけば白と黒とで面白かったのに言っていたのでかぶっていたと思います。

確か母が拾ってきた猫だと思います。このころから母の動物かわいがりは強くなっていきました。

母は、孫たちから「ちーとばあちゃん」呼ばれています。この白猫ちーこは、孫たちに「ちーと、ちーと」と呼ばれていたからです。

この猫はよくできた猫でした。人懐っこくてやさしくて。来たときは子猫だから小さいからちーこでしたが、あまり大きくなりませんでした。

ちーこは短命で10年ちょっとぐらいしか行きませんでした。死ぬ間際ダンボールの中で眠っていたのですが、よろよろと立ち上がり横で見ていた私の胡坐の上に座りに来ました。その日に死にましたが、切ない思い出です。

かわいそうだからということで、ペット専門の火葬場に持って行ったことを覚えています。阪奈道路沿いの動物霊園だったと思います。火葬しただけでそのあとは行っていないけど、今でもあるのかな。

記憶はあいまいですが、猫の骨の一部をお墓の脇に埋めたような気もします。

次にやってきたのが「まる」。正式名は「まるも」。これは、兄が会社の近くに子猫がいるからといって連れて帰ってきました。

兄の名前はまもる、猫の名前はまるも。

この猫は人間に対して攻撃性がありました。気難しく神経質でした。孫たちはちーこは可愛がれましたが、これは恐怖の対象でした。子猫だから遊びたがって足にとびかかってくるのですが当然爪を立てる。それが痛くて怖くてその猫の近くを通るときはみんな座布団をもって足に来ないようにしていました。もちろん触ることなんてとんでもない。

遊ぶのが好きでジャンプはなかなかの迫力でした。

最後は、母が施設に入ってすべての猫の世話を私がする負担を減らすために当時怖がっていたその姪っ子が引き取ってくれました。結局3匹引き取ってくれました。旦那さんの理解もありとてもかわいがってもらい幸せな晩年を過ごしました。一番長生きをして20歳は軽く超えていたと思います。

ホーミーとまるです。

次に来たのが、白猫のホーミー。

ある日家の近くから子猫のけたたましい鳴き声がずっと聞こえていました。すぐにでも駆けつけて様子を見て引き取ってきそうな母親に、私は「あかんで」と言ってくぎを刺しました。

そしてしばらくして兄の嫁が入ってきて「さっきからこの猫がすごい声で鳴いてる。ばあちゃん何とかしたって」と言って連れてきました。

あーあ。

猫の名前は、ホーミー。兄の嫁の名前はみほ。これも分かりやすいですね。

小猫の時に鳴きすぎたせいか、この猫はあまり鳴きませんでした。ゴロゴロとのどを鳴らすのがすごく下手でまず聞こえませんでした。

真っ白でしっぽが長くすらりとしてきれいな猫でしたが、鳴くと声がかすれてきたない。毛の触り心地が安いアクリルの糸みたいでした。

この猫はよくできて猫でした。やさしいし人懐っこいし、病院へ行ってもおとなしい、爪を切ってもおとなしい。トイレもきれい。

私はなぜか顎を噛まれました。椅子に座っていると膝の上に来て前足の私の胸辺りにおいて顔がだんだんと近づいてきて顎を「カプッ」と噛んでいきます。何だったんでしょう。私だけがやられました。

晩年はこの猫も認知障害があったのでしょうか、この家に来る前の捨て猫だった時のように意味もなく鳴き続けていました。昼夜関係なく。次に出てくる相棒の猫が死んでからひどくなりました。

体が弱ってからは、兄夫婦が連れてきたいきさつもあり最後まで見届けてくれました。

次はブッチャー。オスの黒猫です。

堺の姉の動物好きの姪っ子が、公園に死にかけの猫がいるということで連れてきました。前足の指がけがをして一部がなく病院で治療して一命をとりとめました。

私が一番好きだった猫はこいつです。

でもこいつは悪い猫でした。攻撃性はなく基本はおとなしいですが、周囲のことは我関せず自分のしたいことだけする超いたずらっ子でした。

食べ物はすぐにとる、脱走大好き、つかりそうになると逃げる、トイレは荒い。

とにかく猫部屋から出たくていつも入口にいて開いたらすぐに脱走。

自分でも開けようとして重い扉をがりがりとひっかくので扉がボロボロに。貫通しそうなので板を貼りなおしたりしました。

かなり重い扉でしたがこの猫だけはこじ開けました。固定しないとたやすく脱走します。

そのかいあって前足が太くて筋肉質。こんなに太い腕をした猫はほかに見たことがありませんでした。

母が死んでしばらくして急死。あっけない最後でした。

母は、父の経営する会社を手伝っていました。また趣味で家庭菜園をしており、そこに近くの野良猫を集めて飼っていました。母なりの親切なのでしょうが、虐待と言われても仕方のない環境でした。

放し飼いをせず飼っていたんでしょう。逃げられないように小さな小屋を作り飼っていました。ですが会社が移転することになり、この家庭菜園もいけなくなるということでそこにいた猫たちも家に来るようになりました。

そんな猫たちが、三毛猫のみけ、片目のない猫のしま、小さいけれど食べ物にとてもいやしいピースです。いきさつは間違っているかもしれません。

残念ながら私自身はこの3匹とはあまりかかわりはありません。「何匹目おんねん」とあきれてみていましたから。

そんなこんなできなこを含め最大で、まる、ほーみー、ブッチャー、しま、みけ、ピース、きなこと最大7匹家にいました。

それでも飽き足らず、家の周囲の猫に餌をやるので近所には10匹程度、また猫に餌をやりにも行ってたので何匹の猫にかかわったかは分かりません。家族は止めましたが、なかなかこれが好きな人は良かれと思ってやっているから止まりませんよね。

私の家を説明するとき「いつも猫がいてるところの家や」と説明したもんです。

みけは母が亡くなる前に死にました。

しまとピースは、まるを引き取った堺の姪っ子が面倒を見てくれました。私の知らないこの猫たちの一面をどんどん発見してくれて、最後まで本当にかわいがってくれました。地味な猫たちやったのに。

埋葬もとても手厚くしてくれていたようです。私は基本薄情なのでそこまでできません。本当にありがとう。

で、猫たちは猫部屋と言われる重い扉の部屋に隔離されます。扉は板をあとから張り付けられて片手では開けられないぐらい重いです。

時々、私の気が向いたら解放してあげます。掃除はせんけど。

その時はきなこを別の部屋に閉じ込めます。

母が施設に入って3匹を姪っ子が引き取ってくれました。

そのうちにブッチャーが死にます。

それから、ホーミーが弱っておかしくなり兄夫婦が引き取ってくれました。

そこからきなこと二人。もともと猫部屋から出ていたしやはり思い入れが深くなる。

この半年はきなこも以前の体力はないなと感じていました。何らかのストレスがあったのかもしれません。

これだけ長く動物に囲まれてきたのに人も生き物も居なくなった寂しい我が家。

新しいペットとも思うけど、ちゃんと世話できる自信はないし、時間もとれない。今まで見たペットの死に際や死んだ後の罪悪感。

きなこに「俺がいなくなって寂しいから新しいものをとは、えらい勝手な理由やな、満足に面倒見れるんか」ともいわれそうやし。

もしご縁があれば飼うことにしよう。買いにはいかないよ。

きなこのことを書ききる

仕事が終わりなんとなく早く家に戻らないと思いましたが、帰っても居る訳ないんですよね。仕事中も感傷的でダメダメでした。

もちろん今パソコンに向かっていても後ろのベッドが気になっています。

でも昨日の記事で自身を奮い立たせる意味で記事を書きました。

でもあれで余計に感情的になっています。

まだ、書いていないエピソードがあります。これを書いて最後にしよう。

きなこは、生まれてもまなく近所の人に連れられて「お願いします。めんどうみたってもらえませんか?」と母のもとへ来ました。母は近所でも猫好きとして有名でしたから。

それを世話をしているときまだ小さいからと言って母は先住猫と馴染ませませんでした。

それは、ある程度大きくなってからもでした。なんかのきっかけで先住猫と対面したときに白いホーミーという猫がそりゃ狂ったように怒ったんです。

普段はとてもおとなしいホーミーがきなこに対してだけは本当に怖かった。殺されると思いました。きっと猫として許せん何かがあったのでしょう。それが何かを知る由はありませんが。

それ以来、先住猫たちときなこは合わせなくなり、先住猫は猫専用の部屋から出られる機会が大きく減りました。

その後も何度か先住猫といやホーミーと対面してしまい追いかけまわされたことがありました。上の写真でもわかるように左の耳が少し切れています。ホーミーにやられた傷です。

きなこの寿命は約14年と8か月。我が家の猫の中では早死にです。

前半から中盤までは母とも一緒に生活しました。そのころは母の布団で寝て母に対していつも「シャー」と言っていました。

母が施設に入ってからは、私と部屋から出られない先住猫の影とくらす。

そして先住猫も死んでしまい最後の一年は私と二人。

ストレスが大きかったのかな。仕事と柔道で家にいる時間は案外少ないし、休みはほとんど出稽古。正直あまりかまってやれんかった。

勝手なもんで生きている間は気にしなかったけど。ほんとうにごめん。

この猫はいろいろなルーティンがありました。

ご飯を食べるときは端から食べていきます。結構きれいに食べて餌がないところとまったく口を付けていないところが分かれていました。

機嫌よく玄関まで迎えに来てくれた時は、先に中に入って絨毯の上でゴロンと寝ころびます。足でおなかを数回擦ると満足して去っていきました。もちろん手でもいいんですよ。

猫独特の顔をこすりつけることをよくしましたが、掌の中に顔をうずめるのが好きでした。顔をわしづかみにしても喜んでいました。そのときによく親指と人差し指の間を噛まれましたが。

それを続けると興奮して嚙み始めます。私の手もよく血が出ました。後足キックは少なかったですが、前足で器用に挟んできました。それで噛んできます。当然前足の爪も痛いです。

爪と噛みつきに堪え、きなこが逃げるまで顔をわしづかみにしてやります。それが、たまにあるスキンシップでした。

靴下を履いている足に攻撃をすることもありました。その時は猫キックもでます。ちゃんと考えてやってくれていたんですね。靴下を履いてないときはしませんでした。

朝起きるとき機嫌よくベッドまで迎えに来てくれた時は、必ず階段の前で立ち止まりました。足で擦ると機嫌よく先にタントンと階段を下りていきました。

トイレ癖は悪くあっちこっちでおしっこをしました。カバンの上、靴の上、危険なのは段ボールで上も中も関係ない。食卓テーブルの上もされました。うんこをしていることもありましたね。トイレ環境が悪かったり、ストレスがあったんでしょうね。

ベッドの上ではしませんでした。でも死ぬ直前はベッドでしたので「ただ事ではない」と思いました。

猫あるあるのティッシュのいたずらはしなかったですね。脱走も全くしない。猫のおもちゃも興味を示しませんでしたが、ホーミーと同じ白い猫のぬいぐるみをやたら大事にしていて終生それをそばに置いていました。

あそうそう。ネズミ捕りやゴキブリ退治は出来ませんでした。ネズミとの対峙はありませんでしたが、ゴキブリは何度か発見しました。

近くまで行って情けない声で「ニャー」みたいな声を出していますが、猫パンチを出すわけでもなく噛んだりもしませんでした。

優しい猫やったんかな??

吐き戻しはどうしようもない。餌を替えてもダメでした。おしっこの粗相は私が原因。

だとすれば、他の猫との相性は問題がありましたが、手間のかからない実によい猫ちゃんでした。

もう書ききったよ。これで最後にするね。

今日火葬を依頼したひらかた動物霊園さんから火葬と埋葬がすんだと案内がありました。

場所はちょっと遠いですが、我が家のお墓があるところからは割と近いところ。ドライブしながら行くには良いかも。ほかの猫ちゃん達には悪いけどバイクの近場ツーリングにもってこいです。近くに大阪府民の森くろんど池もあるので。

近いうちに行きたいと思います。

さあ、今から走りにいくぜ!

追伸 雨で引き返す

こんなこと言われているかも

今日も柔道が終わり家に戻ると心のどこかで玄関で待っていそうな気がしたり、中に入ると階段をタントンタントンと降りてくるんじゃないかと思ったりしましたが、いるわけありませんでした。

なかなかいない現実を受け入れられません。

でもそのうちきなこに

こんなことを言われそうです。

 

なんや、まだめそめそしてんのか

俺は天寿のすべてをお前と付き合ったんや

これ以上何をせいっていうねん

まさかお前が死ぬまで見届けろって言うんか

猫の俺にそのあとどないせいちゅうねん

お前が見届けるのが筋や

そういや

お前が仕事から帰ってきたと思って玄関まで行ったら

お前すぐに大きなカバン持ってどっか行ってたよな

せっかく挨拶に行ったったのに俺ばつ悪かったやんけ

いつもの仕事の時間に起きて出かけへんから今日は暇なんやと思ったら

また大きなカバン持ってどっか行きよる

そんな時は見送ったらんかったわ

見送ったらお前がすまなさそうな顔するしな

俺も遊びたいのに帰ってけえへん日もあったよな

あんまり俺をほったらかしにしたら

あっちこっちで小便したった

気づかんお前が悪いんやで ちゃんと世話をせんお前が悪いんやで

まあ、俺とお前の関係はそんなもんや

そばにいるけど干渉せず

確かにお前は変な奴やったけど俺はお前しか知らんから

他とは比較できひん

でもちゃんと寿命のすべてをお前のために使ってやったやろ

満足してたちゅうことや だからお前も満足せんかい

もうこれ以上ごちゃごちゃ言うな

お前にはお前の人生がまだあんねんから

頑張らんかい

ちゃんと見てへんようで見といたる

 

そやな。

でもまだめそめそすると思うけど、明日から走るわ

けっこうこたえてる

昨日も書いた猫のきなこちゃん。本日動物葬を行うところに引き渡してきました。

死体は市の動物死体引き取りのところに渡そうと思ったのですが、平日しか営業しておらず月曜日は介護現場に入るので休むことができず(私が介護現場に入る日は人手が足りないので替わりがいない)、火曜日まで待たないといけない。

土曜日に死んだので腐敗など色々心配になり、ペットの葬儀専門店に頼もうかと思いました。ただ焼いてほしいだけなのですが、結構な値段がかかります。

猫ちゃんサイズだと一番安いコースでも2万円以上。持ち込みのところで17,000円。それに比べ市に頼むと3,500円。

冷凍庫に入れて凍らせて火曜日に持っていこうかと思いましたが、一番最後に猫部屋に閉じ込めて死に際も看取れなかった罪悪感もあり、冷凍なんかしてもう一度苦しめるのも嫌だと思い専門業者に依頼。

場所は、くろんど池の近くでペットを亡くした飼い主の姿もよく見られました。職員も丁寧な対応で、安心しました。

ずっと放さずいつでも一緒にいた大好きな猫のぬいぐるみと一緒に火葬場に持っていきました。

母が施設に入ってから5年の間、他の猫もいましたが自由に動けるのはこいつだけ。どんどん猫が減って最後は二人っきり。

きなこも「こいつしかおらんのかしゃあないなぁ」という感じで付き合ってくれました。

人の近くに寄ってきますが、撫でられるとだんだんと不機嫌そうになってくるのが分かります。そのうち怒りだししつこいと噛みつきます。

私が触ってもぜんぜんおこらなかったのに。

餌はキャットフードのみで人間様の食べ物には興味を示しませんでした。

臆病で外には出ませんでした。少し外の様子をうかがってもすぐに戻ってきます。大きな音も嫌いで特に私がくしゃみをすると走って逃げていきました。くしゃみをする前の息を吸い込むだけで逃げていきました。

貧乏な私を気遣ってか、病院には去勢手術以外は行ったことがありません。いつも元気でした。弱ってからもあっけなく死んでしまいました。病院に連れて行っとけばよかったという後悔もありますがお金はかからなかった。

その代わり、おしっこ癖は悪かったです。吐き戻しもすごかったです。そんな手間がかかりましたが、よくよく考えれば「お前の愛情が足りんのや、それぐらいの世話はしてくれよ」ということだったのでしょう。

冬場はベッドの争奪戦です。布団の中には入らないからまだましですが、足元で寝られるとかなり邪魔です。私がガニ股で足が開いているのでだいたい真ん中で猫が寝ます。少しでも動こうものならすぐに「動くな」とでも言ってるがごとく、「シャー」と怒ります。

それでも少しずつ折り合いはついて猫の方も少しは我慢してくれるようになりました。

最近は私の腰が痛くて上を向いてまっすぐ寝ると足がしびれます。トレーニングの影響で肩も痛いので横になったり上向いて寝たりします。

真ん中で寝ている猫を避けて足を片方に寄せると寝方や寒さで足が痙攣します。私はしょっちゅうつります。睡眠中に強弱はありますが一回はつります。

足を伸ばしたり擦るために体を起こすと、「あ!起きたんか?」とでも言いたげにきなこがゴロゴロと機嫌よさげに言いはじめます。

バイクで帰ると音で分かるのか玄関近くで待っていることもありました。

迎えに来なくても家で一階のソファーでしばらく寝転んでいると二階から階段をタントンタントンと降りてきて太ももの上に乗ってきました。

餌がない時はだいたい下で待っていて「にゃー」と一言いいました。

おしっこをいたるところでするので不要な扉を閉めたり、入れないように柵をしました。

ストーブをつけるとだいたいその前にいましたが、ストーブを消して風呂に入って二階の寝室に行くとベッドで寝ていました。

寝室でパソコンを触っていて後ろのベッドを見ると寝ていました。

私が布団に入るときにのけると「シャー」と捨て台詞を残してどこかへ行きました。

時々何もしていないのに「シャー」と言われました。

ベッドで寝ているとどこからか戻ってくるのですが、足元にいきなり飛び乗るのではなく必ず私の頭側から上がってきてそこから足元に向かってそろりそろりと歩いていきました。

朝にたまに手で顔をぺちぺちしてくれました。何度かそれで寝坊しなかったこともあります。

でも今日ソファーで寝ていてもタントンと降りてくることはありません。

寝るときに布団の争奪戦をすることもありません。

猫が邪魔で寝苦しいことはありません。足もつりません。

扉を締め切らなくても大丈夫です。

カバンをきちんとしまわなくてもおしっこはされません。

猫の砂を替えなくてもいいんです。

今パソコンの前にいますが振り向いてベッドの上を見てもきなこはいません。

面倒掛けられることが多いと思っていましたが、一人暮らしの家の中でどれだけ存在が大きく私が依存していたのか分かりました。

今までたくさんの猫がいたけど最後の猫。家の中で二人だけになりべったりではなくても「いる」という存在がどれだけ大きかったか。

私が世話をしていたのではなく、助けられていたんです。

家にいると何とも言えないぐらい寂しい。

かなりこたえています。

きなこ、本当に今までいてくれてほんとうにありがとうね。俺が飼い主で悪かったなぁ。

母から引き継いで責任感なく面倒を見てきました。不幸な目に合わせたかもしれない。だから新しい生き物を飼うなんてうなんてそんな無責任なことは出来ない。寂しいからかわいいから生き物を飼うなんて人間のエゴに過ぎないから。

からしばらく立ち直れん・・・。

 

2月27日に書き足しました。

また一つ去っていった

25日の未明に家にいた最後の猫が亡くなりました。

母は生き物が好きで晩年は猫をかわいがっており、多い時で7匹の猫が家にいました。

母が施設に入ってからは、姪っ子が引き取ってくれたりして3匹になりました。

母が亡くなってから間もなく2年。姪っ子引き取ってくれた猫も我が家に残った猫も少しずつ死んでしまい、今日最後の猫が死んでしまいました。

死んだ猫が家に来た頃の写真です。指を嚙んでいます。まだ若いと思っていましたが、写真のファイル名から判断すると080612となっているので、2008年。ということは15歳近くまで生きていたことになる。もっともほかの猫は20年近くでしたが。

この猫は、先住の猫たちと馴染めませんでした。先輩猫に本気で怒られ耳が少し裂けています。それで先輩猫たちは猫専用の部屋から出られなくなりこいつだけが悠々と家の中を歩いていました。

人間の食べる食べ物に興味を示さなかったので、おかずなどを盗み食いすることは一切ありませんでした。それはすごく助かりました。キャットフードしか食べませんでした。

ただ、とてもおしっこ癖が悪く私のクロックスやリュックサックに何度もおしっこをされました。家を出ようとして足を突っ込んだ時に靴がおしっこで濡れているんです。正直何度か殺したろかとも思いました。

上の写真の青い枕にもおしっこをされて洗って干したのですがその上に座っています。またするんじゃないかとドキドキでした。

吐き戻しもとても多かったです。何度も何度も戻したものを踏んでしまいました。

小さい頃は手で抱き着くのがうまくそのままよく嚙まれました。爪は鋭利で痛かったですがひっかくのはしませんでした。痛かったけど甘嚙みだったのかもしれません。

一つだけ芸があり、お手ができました。ご飯時ぐらいしかしてくれませんが機嫌がよいと何もなくてもしてくれました。でもすると不機嫌になり、私以外がお手をさせようとすると「シャー」と鳴いて怒りました。

晩年はこのように肩の上に乗ることも増えました。

この半年ぐらいで明らかに以前の元気がなくなっていました。好きだった爪とぎをあまりしなくなり、とがっていた爪が古い爪を落とせなくなり巨大化するようになりました。

5日ぐらい前から明らかに様子がおかしくなり、動きが少なくなりました。二日前に台所と私の布団で複数のおしっこをした後がありました。昨日も同様におしっこがあったので誰もいなくなった先住猫が閉じ込められていた部屋に連れて行きました。

私が寝るまでは自由にさせていました。動きは遅いですがソファーに上がるなどまだ動いていました。部屋に閉じ込めるとしばらく動かず3回ほど小さな声で短く鳴きました。

で、今日朝起きて見に行くと、死んでいました。

いろいろ迷惑をかけられました。この猫のためにカバンをしっかりしまったり、靴は靴箱に入れるようにしました。この猫のための行動が多くありました。

正直楽になると思いますが、父も母も亡くなり多くの猫も死んで独り身の私にとって唯一の意思疎通のできる相手。所詮猫ですからドライですけど、この猫がいないと家にいる間はさらに空白感が広がります。

ちょっぴり悲しく寂しいですが、問題はこうして一つずつこの世との縁が少なくなっていくことの恐怖。こちらの方が重く心にのしかかります。

かといって無責任にまたペットを飼おうとは思いません。この猫も母の残したものですから最後まで責任を取らないといけませんし。

この歳で独身で彼女もおらず身近に懇意にしてもらえる相手もおらず。老いと孤独といずれやってくる死の恐怖と戦っていかなければいけない。

猫が死んで家にいる時間そのことを考えてしまうことが増えるだろう。

でも、今までそのことに深く気づかせないでいさせてくれた「きなこ」には感謝しなくてはいけないね。

本当にできの悪い飼い主だったけど今までほんとうにありがとう。

 

早急に対処しました

土曜日にフロントフォークもろもろの改造を行いましたが、フロントフォークのアップグレードの際に中のばねを付ける順番を間違えるというミスを犯しました。

それで、早急に組み直しを行いました。なんせ重要な部分ですので。

昨日仕事が終わってから実施。時間がかかるのは分かっていたのでいつものガレージでは遅くまで作業は出来ないので家の中にバイクを持ち込みました。

昔の家ですので玄関と床の段差が少し高い。いろいろなものを使い苦労して入れました。

こんな感じ。

さすがに2回目は恐怖もなくなり作業は順調。

新しいディスクホイールはこんな感じです。

前回取り付けたときホイールが引っ掛かり回転が悪かったのですが、ディスクを交換してブレーキパッドを交換しなかったときによくあるとのことで、まだほとんど減っていませんでしたが新しいブレーキパッドに交換しました。それで引っ掛かりは解消しました。

フォグランプに位置も変更しました。出目金のようでちょっと格好悪いですが、フォグランプの調整もフロントフォークの扱いもこちらの方が断然やりやすいです。

さて肝心の変化ですが、いつものようによくわかりません。

ブレーキは最初効きが悪かったです。でも今は特に違和感はありません。当たりがつけばよく効くようになるとのことですが、まあ大きな変化は分からないと思います。

アスクルシャフトについては全く分かりません。しかし造りがとてもしっかりしていて格好いいです。

サスペンションも違いは分かりません。フロントフォークの中に入れるオイルを推奨の物より少し粘度が低いものを入れてしまったので、乗り心地はソフトな感じがするかなという気がします。路面の追従性も少し良くなったような気がします。

あくまでも気がするだけです。

何とか無事に走れそうなのでよかったです。

あと半月もすれば6か月点検に出だすので何かあれば言ってくれるでしょう。

まあ、出すのもちょっと恥ずかしいけど。きっと「こいつあほやな」と思われてる。