ミスタートンの思い込み

ミスタートンが、日々の思ったことをぼやきます。愛車については語ります。

卒業生 2021年度

久しぶりに柔道のことを

この時期は卒業シーズンです。3月22日は小学生の23日は中学生の卒団練習となりました。

小学生6年生は6名。その内3名は中学でも柔道を続けるとのこと。

中学生3年生は8名。今や30名程度になってしまった練習生の1/3がいなくなってしまう。おまけに2年生・1年生はいないので中学部は6年生3名からの再出発となる。

一年一年の体力低下は著しく、だんだん恐怖になってきた卒団練習。今年はもうあかんと思っていましたが、小柄なチームでしたので何とか乗り切れました。きっとみんなも遠慮しているだろうし。

もっともかかってこなかった奴もいました。複雑な心境です。

ほぼコロナ禍のもとの中学生活で、練習機会はかなり減りました。私とのかかわりも薄くなり私自身は何もしてあげられなかったという思いが強いです。そんな中でも自分たちなりに努力をして柔道を最後までやり遂げました。

キャプテンを務めた琉希。

正直、中学生活になじめるか心配でした。まともに話すこともできず、緊張するとチックやどもりが見られましたが、3年生になるころはほとんど気にならないようになっていました。

あまり人の言うことは聞きませんでしたが、自分なりに工夫し、トレーニングも自分で頑張っていました。進路先の高校の先生いうことは熱心に聞いており、同級生に対して技術を教えるようにもなっていました。

素直というか天真爛漫に柔道を楽しんでいます。高校でも同じような柔道生活が送れることを祈ります。

副キャプテンで紅一点の麗。一つ上の女子部員二名が途中でやめてしまい、女子一人という辛い立場でしたが最後まで続けてくれました。

天性か努力のたまものか?どちらかは分かりませんが、優れた身体能力を持っていました。私は1年から全中出場を狙える逸材と思っていました。3年では全国入賞も狙える・・・。そんなことを思っていました。

しかし、結果は甘くありませんでした。気持ちの弱い面は最初から分かっていました。平常心で試合さえできればと考えていました。ですが、それは克服できませんでした。

気持ちが優しいくせに勝ちたい思いが強すぎる。練習はして体力もあるけど楽もしてしまう。同等の実力の女子ともっと競った練習をさせたかったけれどそれもできなかった。課題に目を向け取り組むことをしない・・・。

なんて書きましたが、一番の原因は私ととにかく合わなかった。気にはなるけど関わり合いたくない時の方が多かった。それはすべて私の指導者としてだけでなく人としても未熟ゆえのことと思っています。本人にもつらい思いさせたと思います。申し訳ない。願わくば次の環境では、良き人間関係が構築できることを願います。

煌三郎は、中学でいったん柔道と距離置くとのこと。中学で柔道はやめようという思いはあったようでお兄ちゃんたちが通う学校は柔道推薦を使ってでもと思っていましたが、それはかないませんでした。勉強を続け第二志望の高校へは合格。

柔道を辞めたいと思った原因は、体格。結果こそ残せませんでしたが、お兄ちゃんたちと比較して一番器用に技をこなし新しい技への取り組みも熱心でした。練習姿勢も本当に一生懸命でしたし、トレーニングもかなり努力していた様子がうかがえます。普段の頑張りが強すぎて燃え尽きてしまった分もあるのかもしれません。

私自身はこの学年の中では煌三郎を一番褒めました。また一番強くなったと思っています。希望する高校へ進学はできないことで戸惑うことばかりだったでしょうが、柔道への取り組みがそうであったように自分で考えて動くことができます。違う環境でどのようなことをしていくのかに注目したいと思います。

もう一人中学で柔道と距離を置く凉雅。6年生から柔道を始めたため小学生時代の蓄積がない中で始まった中学柔道。強豪中での出稽古などで心配しましたが、意外とやれている姿を見て頼もしく思ったこともありました。ですが、コロナ禍で練習機会が減った影響が一番強かった。肝心なところでほとんど何も教えることができなかった。もしちゃんとできていれば高校でも柔道を続けていたかもしれない。

凉雅には、一番遅くはじめ弱かったという負い目があったのかもしれない。私自身もかわいそうだけど女子と練習させたり時にはごまめ扱いしたりしました。プライドも当然あったと思いますが嫌な顔一つせず承諾してくれました。

みんなに追いつきたい負けたくない気持ち、嫌な仕事であっても受け入れてくれる気持ち。どちらの気持ちも強いものを持っていました。決めたことは最後までやり遂げました。その強さを活かせるような高校生活になることを願います。

進路ではびっくりするような高校へ行くことになった亮太。もちろん柔道も続ける。

一歩間違えば不良グループのリーダーになっていたのではと思っていました。派手さはないですが、物事の動じず苦しいやしんどいといったことも口には出しませんでした。妹たちにはすごく優しく、かなり周囲に対し気を使っていた気がします。残念ながら柔道の練習はよく休みましたが、本人以外のことが原因だったはずです。でも休むから体力もなかった。

高校はガラリ環境が変わるので今までのような感覚だと話にならないので早くその環境に慣れてほしいと思います。

どちらかといえば無口でアピールなどもしない。内に秘めた芯の強さ、動じない心、負けん気の強さは相当で思いっきりの良さもあります。環境さえ整えば高校では化ける可能性があると思っています。中学でももっとできていれば・・・。

同じく東淀川区の翔唱。彼も高校で柔道を続けます。練習中に原因不明の下肢の痙攣があり練習ができなくなることがありましたが、それ以外で柔道の練習を休むことはなかった。辛さを口にはあまり出しませんが時々顔で訴えたりしますが、やめなかった。

翔唱は、気持ちが優しい。傷つけるようなことはしなかった。柔道では気持ちの弱さになり、思い切った技が入れなかった。もう少し大胆不敵になってくれたらよかったんだけど、やさしいのがいいところだし・・・。

中学ではほとんど練習を休まなかったけれど、高校ではもう少し深く濃く取り組んでほしいと思います。いろいろな技をできる土台はあります。自分のために考えて深い練習をしてください。中学の成績を越えられることを願っています。

少し斜に構え少し距離を置きながら他のものとは少し違うところでアピールする陽希。

その性格で気の利くところがあったり、気の回らないところがあったり、みんながしない手伝いをたくさんしてくれたりしました。畳の設営と撤去や掃除は本当に率先してやってくれました。今後ここまでやってくれる子は出ないかもしれません。

勉強も柔道もそれなりにできましたが、周りを見れてしまうところがあるためか自分の限界をあっさりと決めて必死になりきれないところが見られました。強気なのかなと思ったら意外と試合では緊張しまくるし・・。

高校の進路もそのため悩みました。柔道で行くのはどうも、でも今から勉強もできない・・・。最後は自分を説得できる部分が見つかり柔道での進学を決めました。高校ではもう少し柔道に重きを置き「俺は柔道してたんや」と周囲に言えるぐらいになってくれればと思います。壁を破れ。

最後に龍。中学生活の変化に戸惑いまたコロナ禍の影響もあり回り道をしました。もう龍はだめかと思っていた時に私の母の葬式に来てくれました。母が龍のお父さんの整骨院に通っていた時にお世話になったからということだったのですが、私やもしかしたら柔道の先生や生徒とも会うわけでそれなりの覚悟を持って来たと思います。

それがきっかけで柔道を再開しそこからは人が変わったかのように熱心に取り組みました。これについては母も喜んでいると思います。

体格差で勝てなくなり戸惑いながら柔道をしていた中学1年のころ。元から備わったセンスと小学生の時に積み重ねたものがあり、教えに来たOBも一番熱心に龍に教えようとしましたが、「でもあかんねん。週に一回しか来えへんねん」と私が言っていました。

でも龍にとってコロナは悪い方向ばかりに進んだわけではないかもしれません。コロナがなくあのまま柔道を続けていたらもしかしたら高校では柔道をしなかったのではなどと思いました。柔道に飢えてわだかまりをすてて久しぶりに柔道をしたときに感じるものがあったのではと思いました。

そして大阪最強高校を進路先に選んだときは本当に飢えていたんだと思いました。柔道中心の生活を続けることがよいかどうかはさておき今度はぶれずに3年間を全うできることを切に願います。

この学年は麗以外は小さくて本当に弱かった。琉希とてじょうたろう・麗・龍の次で斗希と4番手争いでした。

出稽古続きの1年。コロナ禍の2・3年。2年の時は試合すらなかった。そんな環境の変化の中一人も欠けることなく卒団を迎えました。

みんな見かけ以上に心が強かった。そして何よりも仲が良かった。もめごとは聞いたことがなかった。お互いに励ましあっていたわけではなさそうだが、一緒にいることが楽しかったのだろう。他人を蹴落としてまでもという者はおらず、気がよく優しいのだろう。柔道の勝ち負けではどうかとも思うが、人として社会生活を送るものとしては正解だし、そちらの方が大切です。きっとみんなワンマン社長にはなれないのかな。

卒団おめでとう