ミスタートンの思い込み

ミスタートンが、日々の思ったことをぼやきます。愛車については語ります。

現代では通用しない人なんだろうな

あまりよまれたくないので暗転します。

あまり書きたくはないのですが、ここが閉鎖性のたかいブログであることと閲覧者の人間性を信用して

2年生女子は、3人まとまり1年生の間苦難を乗り越えてきました。小学校の間は選手としてほとんど試合に出たこともない子たちでした。それでも頑張っていたのですが・・・。

急に崩れ始めていきました。予兆はありましたが、大きな転換は春休みの練成会でのダブル救急車搬送。ここから悪い流れに行ってしまいました。

一人はそれなりに頑張って来ていますが、一人は今はとても通えない状態。残る一人も練習に行くことができない。柔道を辞めるか悩んでいるとのこと・・・

私はこの3年で4人の生徒をやめさせてしまいました。そんな中で一度離れた気持ちを戻すことは難しいこともわかりました。中には私が関わることができなかった時もありました。

辞めたいと言っている子のところに話し合いには行きました。説得なんて出来る訳がなく一応は「いついつに来い」と話をし、「行きます」とは言ってくれましたが、その日には来ず。

「明日までは待つ」と伝えるも翌日も来ず。もう諦めた2日後に「行く」と連絡がありました。

今日の試合にも出ましたが、でもまたいつ「辞めたい」言うかはわからない状況です。一度切れてしまうと二回目はもっとたやすく切れるのですから。

指導するということは難しい。強くするのも難しいけれど、相手に強くなりたいという気持ちがあれば後は技術と知識と根気。でも柔道したくないと言っている子をさせるというのは本当に難しい。

 

指導ということでは、時代が変わり指導者と生徒は対等。暴力・パワハラはだめ。それらは当たり前ですが、自分たちの関係を外部が問題にするはやっぱりおかしい。閉鎖空間で常軌を逸脱した行為が行われていないかを判断する目は必要ですが。

強くなるためには同じ目的同じ意識をある程度共有していないとダメなはずです。ひとまとめにしたり強い口調で言ったり時には厳しい言葉を言ってしまったりすることがなぜダメなのでしょう?行き過ぎて人権侵害になってしまうのでしょうけど・・・。なぜそんな集団にいるという覚悟を持たせてはいけないのでしょう?そりゃ個人差はあるのは分かりますし、したくなくても配慮するようになっていきます。なんでも欧米化していいものなんだろうか。

話をして考えさせて納得させて行うのがいいのは分かります。でも限られた時間の中で時間短縮のために怖いという感情でスムーズな練習をさせるということも必要なのではないでしょうか。行き過ぎで委縮させては当然いけません。でも怖くてやらされることからはじまりある程度結果を出して自主性を持つことができるようになればそれでよいのじゃないでしょうか。やらされてでも結果として続けたということには感謝はされないかもしれないですが、やらそうとしたことには本当は感謝してもいいんじゃないでしょうか。なぜ誰も私たちのことをわかってくれないのでしょうか?あなたたちは何を見ていたというのでしょうか。

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ぐちってしまいましたが、最近面白くない事ばかり続いていたもので・・・。